学問が詰まらないと言う幻想を破壊する
全ての高校生・大学生のために
上記の記事がトラックバック・ブックマーク等で予想以上に反応を貰えたのですが、どうも誤解されているな、と感じている部分が大きいので、少し長くなりますが、補足説明をしようかと思います。ただし、完全な補足となるものではありません。書きたいことを書いています。
今回の記事は、全ての高校生・大学生のために、などと銘打つつもりはありません。もちろん色々な方に読んでもらいたいとは思うのですが、あくまで筆者個人の意見でしかないため、合わないと感じた人は適当に聞き流したり、即閉じてしまっていただいて構いません。書いているうちにすごく偉そうな文章になってしまったような気がしますが、別に筆者自身は偉いわけでも何でもありませんし、絶対的に正しいと思っているわけでも当然ありません。おかしいんじゃないかな、とか、こう思うとかそういったものがあれば、コメントやブックマークに何か書いていただければ嬉しいです。
「勉強・学問」は詰まらないと言う幻想
上記エントリの反応を見る限り、明らかに「勉強はつまらない」ということを前提に書かれているものが多いような気がします。これに対しての筆者の反応は、「あ、学問って一般的には娯楽じゃないんだ」と言った感じです。これはあくまでも筆者自身の考えでしかないので、「勉強なんて誰が何と言おうと面白いはずがないだろう」という態度を崩す気がない人は、ここで戻るボタンを押して頂いて構いません。
「勉強・学問」とゲームを比較する
筆者自身は非常にゲームが大好きなので、「勉強・学問」と「ゲーム」を比較することで、どのように面白いかを説明してみます。そもそも、面白いものを「どうして面白いか」を説明してもしょうがないと思うのですが、その説明をしないと恐らく納得してもらえない部分があるかと思いますので、しっかりと説明していこうかと思います。学問は当然面白い!と思っている人は、すっ飛ばしちゃってください。
「勉強」と「ゲーム」の対比
まず、ゲームにおいては必ず「ゲームシステム」が存在します。これは例えば数学などでは「定理・定義」などになります。筆者の得意分野は数学・情報系ですので、主に数学を使って説明しますが、他の科目でも大体説明できるのではないかと思います。これをうまく使いこなして、与えられた問題を解決していく、という部分が共通点となります。パズルゲームなどのイメージが一番わかりやすいのではないでしょうか?
ここで、学問というものは、通常のゲームより当然複雑です。簡単に言ってしまえば、よく作りこまれたゲームではあるが、システムが複雑すぎるので初心者には取っ付き辛いが、よく出来ているのでコアなファンがいるような、そんな感じです。ですが、レベル選択もほぼ無限に可能で、好きなジャンルを選択することも可能なので、一度面白さに気づけば、その作りこみ故に離れられなくなるような、そんなものだと思っています。一生では足りないほどのボリュームがありますので、教材選択などを誤らなければ、飽きることもありません。
「研究」と「ゲーム」の対比
それでは、研究はどうでしょう?ゲームというのは、当然説明書に情報が全て書かれているわけではありません。隠し要素や隠しパラメータなどが存在するので、それを自力で解明するのも研究です。シミュレーションゲームなどでの戦略などを立てて、その有用性を示すのも研究でしょう。殆どの人は、経験則で「こうすると大体うまくいく」といった戦略をとっていますが、それが本当に正しいことを示すことまでが研究です。これをすることで、大抵の場合、最初に立てた戦略には穴があることが発覚し、どうすることが最適か、ということを発見することができます。
要するに、筆者がなぜ「大学では学問をしろ」と言っているかというと、「大学ではみんなで同じゲームをしたほうが楽しいから」といってもいいかもしれません。幅が無茶苦茶広いので、情報交換もしたいです。ついでに言えば、それがそのまま現実世界で楽しめるので、大学期間中だけでなく、一生楽しめます。個人で実行していても十分に楽しめるものですが、なぜ大学というものが存在するか、と考えたら、そういったものを楽しむ共同体として存在しているに違いない、と僕は考えています。職業となったときに、研究職という形になるか、一般職で現実問題への応用という形になるかは人それぞれですが。
もうひとつの理由として、「論理的思考力を高めることで、人生を数倍楽しめるし、様々なものが見えてくるようになる」ということもありますが、こちらまで書くとあまりにも長くなってしまうので、こちらは別エントリー、もしくはITMediaさんで書かせていただいてる最強最速アルゴリズマー養成講座にて説明をしていこうかな、と思っています。
どうして「勉強はつまらない」と思い込んでしまうのか?
これは原因はさまざまかと思いますが、筆者が考える最大の理由は、「勉強・学問がつまらない」という空気が蔓延しているからではないかと思います。勉強がつまらない、勉強をしたくない、と考えている日本人はかなり多いでしょう。ですが、これが発展途上国などの人になった場合、勉強がしたくても出来ない、という状況に変化します。もちろん、ないものねだりであったり、そういった環境さえあれば〜〜が出来るのに、といった想いからくるものもあるかと思いますが、これは、国民全体の意識の違い、というのが大きいかと思います。
貴方の小さい頃を思い出してください。「勉強が面白い」と主張してた人間がどれだけいましたか?数人はいるかと思いますが、そうでない人が大多数だったのではないかと思います。周りの皆が「つまらない」といっていたら、恐らくその人自身も「つまらない」という先入観を持ってしまうでしょう。そうした状態で、果たして楽しむことが出来るでしょうか?不可能ではないでしょうが、前述した「とっつきにくさ」があることを考えると、ほぼ絶望的な状態になってしまうかと思います。こういった幻想をぶち壊していくことで、頭を使うことが楽しいと考えるのが当然な社会を作っていけるのではないかな、と思います。
結論
長くなりましたが、結局何がいいたいかといえば、前回の記事は「遊びを我慢して勉強に取り組め」だとか、そういうことを主張するつもりは殆どありません。「人生を楽しむ方法」を書いているつもりなのに、「耳が痛い」だとかそんなことを言われても困ってしまいます。大学の特定の学部に進んでいるのであれば、その職種に就職する人が殆どでしょう。そうであるならば、それを、いわゆる「遊び」と同等、もしくはそれ以上に楽しめるようになれば、大学生活も、それ以降の仕事なども楽しめるのではないでしょうか?筆者自身も、基本的には1日中パソコンの前で勉強やそれに近いことをしているのが殆どですが、筆者が知っている同世代の誰よりも、人生を楽しんでいる自信はありますし、今後もそうであるつもりです。
最後になりますが、筆者は非常に頭を使うのが大好きですし、頭を使って、特に自分が持っていない知識を使って色々な意見をくれる人も大好きです。もちろん、そういった人が正義だとか、こうでなければいけない、とは考えてません。ですが、少なくとも筆者自身は、こうしていくことで人生を最大限に楽しめると考えています。このエントリーを通して、そう考えてくれる人が少しでも増えてくれると嬉しいな、と思っています。出来るだけ多くの人に伝えたいですし、色々な意見を聞きたいので、ブックマーク・コメント等でのご意見ご感想をお待ちしています。