考えを発展させる議論の作法
最近余り有意義な話し合いが出来ていないことが多いため、他の人に伝えるメモ代わりに少し纏めて書いておきます。一般的に使えるものだとは思うので、ブログで公開、という形にしておきます。
このエントリーでの「議論」に関して
そもそも、「議論」という単語は非常に色々な場において使われるものです。もちろん、その「議論」全てにおいての、こうするべきだ、ということを話すつもりはまったくないので、このエントリにおける議論というものを定義します。
まず、議論というものは、大きく分けて二つのタイプに分かれます。
- 「議論に勝ち、自らの意見を押し通すことが目的」な場合
- 「議論を通じて、双方の考えを発展させることが目的」な場合
ここまで書けば誰しもわかるかと思いますが、今回取り扱うのは後者に関してです。ただ、前者について語らないわけではありません。さまざまな議論を思い返せばわかるかと思いますが、この2つは議論において当然交じり合っているもので、完全に分けて語ることは出来ません。議論を二人でするとしても、相手と自分が同じスタンスで話しているとは限りませんし、もし自分自身が色々な意見を吸収したいと思っていたとしても、相手は意見を押し付けたいと思っているかもしれませんし、議論に勝つことを目的としているかもしれません。
なぜ「議論に勝つことが目的」では駄目なのか?
さて、上でタイプを2つに分けましたが、なぜ「議論に勝つことが目的」では駄目なのでしょうか?それを考えるためには、「なぜ議論に勝たなければならないのか?」というのを考えればすぐにわかります。
議論に勝たなければならない理由は様々でしょう。単純に、議論で勝つことに喜びを感じているからだったり、他の人からの支援等を受けていて、自分の意見を引っ込められなかったり、色々あります。ですが、ここで共通しているのは、「自分の意見を変えることが出来ない」ということが共通します。自分の意見を変えて、相手の意見を受け入れることが「負け」とされるのであれは、当然とも言えます。
ですが、これはもちろん、「自らの考えを発展させるための議論」としては論外です。なぜなら、自らの意見を変えられないのであれば、自らの意見を発展させる方向性、というのは当然非常に幅の狭いものとなってしまうからに他なりません。
ピンとこない人もいるかも知れませんので、一つ例を挙げましょう。国会における議論などはどうでしょうか?各政党は、マニフェストを掲げ、あらかじめ「〜〜をやります。」と宣言をしているため、自らの政策などは、当然変えられるものではありません。そんな状態で、果たしてお互いの意見を高めあうことは可能でしょうか?もちろんそんなことは不可能であり、結果として発生してしまうのは、ただの揚げ足取り合戦となるわけです。
「考えを発展させるため」に必要となる姿勢
さて、では、どのような姿勢で臨めばよいのでしょうか?答えは簡単です。「自分の意見に拘らず、積極的に議論に負けろ」、それだけです。もちろん、これは、「相手の意見をそのまま取り入れろ」というわけではありません。必要なのは、相手の意見と自分の意見を対等に疑い、対等に評価することです。これは物事を考える上では当然な事です。二つの選択肢があるなら、それを二つ同じ条件で並べた上で、どちらの方が良いか考えるのは当然でしょう。本当に考えを発展させたいと思っているのであれば、「こういう主張をしなければならない」といったような立場には出来るだけ立たないようにした上で、議論するべきでしょう。
「相手の立場」・「自分の立場」を考えて議論する
さて、以上つらつらと書きましたが、はっきりといってしまえば、こんなことは理想論でしかありません。実際に話していれば、「ここだけは譲れない」だとか、「理屈は正しいけど、生理的に受け付けない」だとか、受け入れられない要素なんていくらでもあります。これは自分も相手も同じで、自分のほうが出来るだけそういった部分を減らそうとしても、相手がそういったスタンスを保ってくれるかはわかりません。こういった部分に対して細かい対策を入れていくことで、理想論は現実味を帯びたものになってきます。
ここで大切なのは、「どの部分で議論することが出来ないのか」ということです。はっきり言ってしまえば、僕は、自分自身の考え方を発展させることを目的としているので、相手がどうなろうが知ったこっちゃありません。となれば、ある程度質問をした段階で、明らかに受け入れるべき点で相手が受け入れてくれない点を感じたら、それは一歩引いて受け入れてあげるべきでしょう。その点をひたすら責めて相手を虐めたところで、まともな議論は期待できません。もしその部分が前提となって発展的な議論が必要となる場合は、多少無理やりではありますが、「現実とはズレるけど、もし〜〜だったら」と言ったように、仮定の話として議論を続ける、などの手段が有効です。仮定の話であれば相手の拘りも解消されることが多く、発展的な話に繋げることが可能となります。自分が意見を変えられないときも同様ですが、こちらは相手がそこを崩すことを要求してこない限り、そんなに気にしなくても良いかな、とも思います。
議論以外でも、同様の考え方を適用する
この話は、当然、対話による議論以外でも使うことが可能です。例えば、本やインターネットのサイトの意見などを読む場合などでもこれは有効です。手順は同じで、相手の発信している意見と自分が持っている意見を並べ、双方を疑い、どちらのどこがおかしいか、というのを考えた上で、その2つを混ぜ合わせて、自らの意見を構築していけば良いでしょう。本などはまだしも、インターネット上で1個人が発信できる情報なんて、結局はただの一般人が書いている話です。一見正しそうに見えたとしても、実は貴方の意見のほうが8割がた正しく、参考になるのは2割程度しかない、といったこともしばしば起こります。常に全てを信用したり、跳ね除けたりせずに、どんなものに対しても常に疑ってかかった上で、対等に評価することで、何が良いかが見えてくるのではないでしょうか?一度疑ってみないと、何が正しいかなんて考えることは出来ないでしょう。
以上を踏まえて、当ブログが当然行うべきこと
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