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chokudai(高橋直大)のブログです

「天気の子」感想(ネタバレあり)

好きな映画じゃなかったけど、いろいろ書きたくなる映画だったので。ネタバレ全開なので閲覧する方はご注意ください。1回しか見てません。殴り書きなのであんまり読みやすくは書いてません。

 ということで見てきました、天気の子。2000年代ノベルゲームにハマっていた人間には刺さる、と聞いていたので、すごい楽しみにしてたんだけど、見た直後の感想は、「うーん?」って感じだったのが本音。

最後に「大丈夫」で締めるのは何でなんだろう。何にも大丈夫じゃないやん。みたいな感じでもやもやとしてたんですが、考察してたら楽しくなってきたので、いろいろ垂れ流しておきます。

 

まぁザックリ言って、「THE セカイ系」って感じの映画だと思います。最終的に一人を選ぶか世界を選ぶかを問われ、一人を選ぶ系ストーリー。確かに昔のノベルゲームによくありそうな感じ。

ただ、それらを構成するあらゆる要素が、自分から見ると「うーん?」ってなる感じの描き方ばっかり。何しろ主人公や登場人物に全然共感できない。

一番どうしようもないのが、最後の「大丈夫」の台詞。あれがマジで何にも救いがない。最終シーンで、陽菜さんが「空に向かって祈る」という、自殺未遂行為を行っていて、全く救われていないのをわざわざ描写した上で、「大丈夫」という、何の救いのない言葉をかける主人公。そしてRADの歌で誤魔化して終わり。マジで何これ、ってなる感じの終わり方。わざわざヒロインが病んでる描写を入れてるのヤバい。

新海監督の前作「君の名は。」は、凄い綺麗に終わらせていたのに、こんな謎にもやっとする終わらせ方をするわけない、ということで、どういう意図でこんな終わりにしたのかなあ、というのを考えて、思ったことをだらだらと。

 

さて、この物語は、「子供」と「大人」の二つが大きく対比されてる。

この映画においての子供というのは、

  • 社会に適応する能力が低い
  • 長期的な観点ではなく、短期的な観点で物事を判断する

みたいな感じです。それに対して大人は

  • 社会には適応している
  • 社会的ルールに従うので融通が効かない。

って感じに露骨に対比してます。今回の物語では、「大人=子供を導く役割」みたいな、物語によくある「良い大人」の表現は全然ない。

ひとまず登場人物を子供順に並べてみる。

 

  • 帆高(主人公)
  • 凪(先輩)
  • 陽菜(ヒロイン)
  • 夏美(お姉さん)
  • 須賀(おじさん)
  • ~~~越えられない壁~~~
  • 刑事とかモブとか

まず前提として、この壁の上は、びっくりするほど社会に適合できていない人ばっかりです。主人公は本当に絶望的で、家出→銃2回もぶっぱなしちゃう、というのが本当にどうしようもない。

凪は子供だから、システムに従う意識が全然ないのでここに入れましたが、普通の作品の「大人」ランキングだともっと上な気がする。この子は普通に主人公やれるキャラ。

陽菜さんは主人公と比べてもだいぶ大人です。一応ルール破りはしているし、その場の判断を重視してしまってはいるものの、主人公に引っ張られなければ、ある程度は「仕方ないよね」で行動してしまうタイプです。一回天に行っちゃったのも、「世界をどうにかしないといけない」って考えが上回ったのかなあ、と思ってる。(これは推測)

で、大人役で出てくる夏美さんと須賀さん。いやどっちも須賀さんなんだけど。この二人も、「大人」といいつつ、「大人になり切れていない大人」として描かれてます。まずついている仕事がオカルトを探求する系のお仕事。職に貴賤はないですが、「システムに組み込まれた安定した職」とは言えず、この物語で言う「大人」とは言い難い方向に進んでいる。

夏美さんは就活をしようとするシーンがあるし、何となく「こうならないといけない」と社会に合わせようとする姿勢が見える。須賀さんは「個人の事情より社会全体が上手く行くこと」を優先しようとする発言がちょこちょこある。って感じで、大人であろうとしている描写はあるんですが、あんまり大人になってません。夏美さんは途中から「子供であるべき」として振る舞ってますし、須賀さんも最後には「子供的な行為の容認」をしてます。須賀さんのどうしようもなさは色々酷いけど。

 

刑事さんは職務を全うしてるし、大体のモブさんも職務を全うしてます。刑事さんはともかく、モブについてはとにかく露骨で、ホテルでの宿泊を断わられるシーンだったり、線路内で走ってたら注意するところだったり。普通注意されるシーンなんてわざわざ入れないわけで、極端なまでに「システムに従う大人」ってのを描いてる。

 

並び替えるとこんな感じで、上の方ほど子供、下の方になればなるほど大人、って感じになります。主要キャラは大体子供で、モブの人は大体大人。これはまぁよくある構成。

で、普通であれば「子供が大人には出来ない思い切った行動をすることで、何かが救われる」みたいなのが、よくある物語だし、普通に書くならそうなるんだよね。

作中に出てくる「大人は優先順位を変えられない」って言うのは、逆に「子供は優先順位を変えられる」って話。好意的に見てあげるなら、今回の話は、「東京という街がダメになってでも、陽菜を救うということを優先することで、一人の少女が救われた話」って感じ。感動したーって言ってる人はこういう解釈だよね。

でも今回、明らかにそういう解釈をさせようと思ってない。冒頭に書いた通り、最終エンドは、完全に病んで自殺未遂してる陽菜さんに心配されて「大丈夫?」って言われてるのに対して、「大丈夫だよ!」みたいなことを言って終わる、みたいな、何も救われていないエンドです。

いやこれだけならまだ「これから救われる」みたいに思えるかもしれないけど、このシーンの前にわざわざ「なんで3年間も会いに来なかったのか」という問いに、「なんか会いづらい」みたいなことを答えてるんですよ。陽菜さんマジでかわいそう。

で、ヒロインを見てから、「大丈夫」の台詞。何が大丈夫なんだ、とぶん殴ってあげたい。

 

でもこれ、多分狙い通りなんですよ。

大体主人公視点で描かれているので、「主人公から見たらこう見える」というのを描いているわけだから、帆高君から見たら、「陽菜ちゃんを救った感動ストーリー」で、最後の「大丈夫」で、陽菜ちゃんを救える気になってるわけですよ。

物語としてちぐはぐになっているのは、こういう「短絡的な子供からの視点」をひたすら描写しているからで、「大人」から見ると、ひたすら「何やってんだこいつら」みたいな感じになる。我々がモブと同じ感じの立場になる。

で、これで視聴者を分けて色んな反応を引き出したかったのかなー?と思ってます。

普通に子供的に見る人は、「すごい!感動した!」ってなるだろうし、レビューサイトを見ると感動してるのがよく見えます。でも「もやっとした」みたいな感想も大量にあって、「(この物語上の)大人と子供で見方が大きく変わる映画」を作りたかったのかな?と思ってます。

実際若い子には素直に刺さってるっぽいし、TwitterのDMで何人かに聞いてみたら、割とハッピーエンドだと思ってる人がたくさんいたので、結構分かれてるんじゃないのかなー、と思ってます。

 

まぁなんか、多分新海さん的には、「大人は良くない」っていうのを汚い東京だったり色んなもので表現して、でも「子供から見たら子供が良いかもしれないけど、子供だって全然良くない」みたいなのを書きたかったのかなーとか。大人の人にはそんな感じでもやっとさせたかったんだろうなーと思った。

いやー、しかし、明らかにこれ作った側が「全然ハッピーエンドじゃない」と思いながら色々作ってると思うし、それを綺麗な描写とRADの歌で、感動的ストーリーっぽく表面上仕上げるの、普通に性格悪いと思う。物語書く人が性格良い必要はないんだけど。

 

秒速なんて誰が見てももやっとする感じになってたと思うから、多分そういうのを感じさせたかったんだろうなーと思うけど、色々考えてもあんまりすきじゃなかったです。

だって映画の中のモブと同じ立場になっても別にあんまり楽しくないじゃん。何がしたかったんだろ。あんまりよく分からない。でも反応が大きく分かれてるのを観測できたのはちょっと学びがあった。

色々考えてもあんまり楽しめてないから、製作者の意図から外れてるんだろうなーと思いつつ。殴り書きでした。