僕に彼女が出来なかった理由
たまには真面目におバカな記事を。彼女はまだいません。
「どうして私のことが好きなの?」
「どうして僕のことが好きなの?」
こういうことは、男女どちらにしても、聞きたくなることがあるんじゃないかと思う。僕も聞きたい。聞く相手がいないけれども。
なぜ聞きたくなるか?これは簡単だ。「好かれている理由を知ると安心できるから」である。さて、これをよく考えよう。
- 「好き」 ←これは安心できない
- 「○○だから好き」 ←これは安心できる
- 「○○とか××とか色々あったよね。それで、貴方って△△だなぁって思って好きになったんです」 ←すごい安心できる
つまりだ。これを式にするとこうなる。
- A ←安心できない
- A→B ←安心できる
- (A&B)→C ←すごく安心できる
ってことなんですよ。
これが表すのは何か?
人間は、理想的な恋愛において、論理的な複雑性を求めている。
論理的な複雑性が前提にあることにより、疑う余地のない恋愛をすることが出来る。
ということが言えるわけだ。
「初めて小学校で同じクラスになって、私がいじめられてた時に、庇ってくれたのはなおくんだけだったよね。それからいつも一緒にいて、守ってくれて・・・。すごく頼れる人だな、この人と一緒にいたいな、って思うようになったの。もちろん、他にもすごい人はいるかもしれないよ?でも、私が困っていた時に、私に手を差し伸べてくれたのはなおくんだけだった。だから、なおくんが変わらない限り、私はずっとなおくんのことが好きだよ。」
もうこんなの安心感の塊です。
これの何が安心か。「好きである理由が明確」であり、「十分な説得力がある」。
なおかつ、「その好きである状態が継続される条件まで明確になっている」点である。これが「何があっても好きだよ」だと信頼度が下がるんですよ。繋がってないから。論理的でないから。
では、逆に聞こう。恋愛したことのない貴方はおいといて。
恋愛したことのあるあなた。
「どうして好きだったのか」を、出来るだけ論理的に、詳しく、説明できますか?
おそらく、多くの人は出来ないと思うんですよ。
だってそうじゃん。現実の恋愛って、一緒にいて、何となくいいなって思って連絡とるようにして、そこから何となく仲を深めて、ってなるわけじゃん。
そこに対して説明が出来るか、っていったら、詳しい説明なんて出来ないんですよ。だって、ずっと何度も会って、だんだん好きになっていくわけじゃん?そこに理由なんてあってたまるか、ってわけじゃん?説明出来る方が怖いし、無理やり口にしようとしても、それはやっぱり理由を説明しきれていない。
結局、世の中の恋愛っていうのは、ときめきメモリアル方式で、「好かれるために必要な要件を満たした上で、十分な接触を行い好感度を蓄積する」ということが本質だと思うんです。これは、前述した「論理的であることの安心感」を阻害する。
これでは、「論理的であることの安心感」が得られない。
これを、常識として持っていれば良い。
時に、恋愛は論理的でない。この常識を持っていれば良いんですよ。
さて、表題に戻ろう。僕に彼女が出来ない理由。
僕が中学生の頃、僕のクラスでは、あるゲームが流行っていた。
「AIR」という、恋愛シミュレーションゲームである。*1
さて、このゲームなんですが、すごく完成度が高い。
コミカルな会話で笑いを取りつつ進む、3人の少女とのストーリー。
それが全て終わるとプレイ可能になる過去編。そして最終ルート。
最初に感じた、女の子3人のふざけたキャラ設定からは想像できないような、重厚なストーリーが、感動の渦を生み出している。
これは本当に良いものだ、と感じた僕は、当然他の作品にも手を出す。中学から男子校で、小学校から女子と関わりがなかった僕に、「女の子」という存在を教えてくれた。
ある作品曰く、女の子は何らかのトラウマを抱えており、その問題を解消してあげることにより、恋心が芽生える。
ある作品曰く、女の子は恋愛が事実上不可能な何らかの家庭的事情を抱えていることがあり、その問題を取り除くことで、恋心が芽生える。
ある作品曰く、女の子は何らかの事情で男性との接触があまり多くないことがあり、男性との初体験を多く積むことにより恋心が芽生える。
たくさんのことを教えてくれました。
もちろんゲームだけじゃなくて、小説とかも。
それらに共通することは、ごくごく当たり前のことだが、女の子との関係性に、物語性があるのだ。
そして、どの作品においても、その恋愛の過程に必要な描写が色濃く描かれており、その凝縮された文章は、我々人類に認識可能な程度の論理性を残していたのだ。
結局、我々が求める「論理性」とは、言い換えてしまえば「物語性」なのだ。
さて、その結果、僕がどうなったか。
「女の子」から中高と隔離されていた僕が、極めて「論理的」であることを意識された「物語」という媒体のみで触れてきた僕が、いったいどうなってしまったか。
まぁ、ここまで言えばわかるでしょう。
もし、女の子に好いてもらえたとしても、その「好き」という感情を、信用することができないのだ。偽りの恋愛に心を奪われ、偽りの恋に恋した結果、現実の恋愛というものを、信用できなくなってしまったのだ。
こんな状態で、彼女が作れるわけがないんです。
これが、僕に彼女が出来ない理由だ。*2
現実の女の子に、恋愛小説並の物語性を求められるのか?
まぁ、それは難しいでしょう。
さて、このブログのタイトルに戻る。
「僕に彼女が出来なかった理由」だ。
「僕に彼女が出来ない理由」ではあない。
ということで、この問題をどう解決したかについて、ここから書いていこうと思う。
さて、みなさん、AIというのはご存知だろうか?
このワード自体が凄くふわっとしたものなので、ちょっと難しいですが、AI、機械学習の一つである、多層パーセプトロンってやつの話をしよう。
この多層パーセプトロンってやつは、データと答えを入力すると、中でなんか変な関数の微分とかの式を使って、なんか中に入ってる数が変わる。そんな感じで「学習」が出来る。
で、またデータを入力すると、今度は学習した結果から、「このデータならこんな感じじゃないの?」って感じの、答えの予想をしてくれる。
最近話題の将棋AIとか、おおよそこれの強いやつだ。
さて、なんか良く分かんないことをやってるプログラムの話をした。これって、出てくる結果は「何となくこんな感じになるんじゃないの?」みたいな奴なんだ。プログラム見ても、なんでそういう風になったのか全然わからない。多層パーセプトロンならまだしも、ディープラーニングになったらもっとわからない。
でも、実際は、きわめて論理的な、計算結果が出てきているだけなんです。
そうなんです。世の中のものって大体そうなんです。
世の中が論理的なんじゃない。
我々が、論理的であることを見抜けないだけなんです。
さて、さっき、実際の恋愛はときめきメモリアル方式と書いた。ってことは、「好感度をあげるために、長い時間を女の子と過ごし、様々なやり取りをしている」わけだ。そしてその結果、感情に変化が生まれるわけだ。
これだって、冒頭に書いた、安心できる例の6行程度の簡単な理由説明よりも、ずっと濃密な、細かい積み重ねがあるわけで、そっちの方が余程強固であるし、ちゃんと書き出せば、きっと論理的であるはずだ。
ただ、非常に残念なことに、僕を含む人間というのは、圧倒的に項が多い論理を、論理として捉えられない。「何となく」「総合的に」、そんな言葉になってしまう。
だから、論理的でないと思ってしまう。実際は、はるかに複雑な論理が絡み合っているだけだというのに。
ということで、要するにこういうことだ。
「安心できない」というのは、女の子に責任はないし、この世界にも責任はない。
単に、僕の頭が悪くて、僕が女の子に好かれる理由を論理的に説明できないのが悪いのだ。
結局僕は、自分の頭の悪さを棚に上げて、その理解を放棄していたのだ。
そして、この世界の恋愛の構造があたかも悪いかのように嘆いていたのだ。
あぁ、なんと無様なことか。なんと滑稽なことか。
今までの自分は「僕は頭が悪いから女の子が受け入れられません!」という事実を受け入れていたのだ。
さぁこれがわかれば後は簡単だ。
「頭が悪いからわからない」ではない。「わかる努力」をすればいいのだ。
その結果わかるかどうかはわからない。それは残念ながら最近まるで機会がないから全然わからない。
だけれども、とりあえず人間としてまともな方向に、一歩前に進んだような気がする1日でした。